大阪体育大学ハンドボール部男子の橘光太郎選手(体育学部3年、大阪体育大学浪商出身)は昨年7月、中東のヨルダンで開催された男子ジュニアアジア選手権で主将を務め、決勝で韓国を破って優勝しました。連戦の疲労と慣れない食生活に苦しんだチームを救ったのは、現地の日本大使館で振る舞われた日本料理と現地の日本の温かいもてなしだったといいます。優勝に至る軌跡をスポーツ科学部スポーツ教育コース発行のコーチング研究誌「櫂(かい)」で振り返っています。
夢への第一歩 ~アジア制覇からの挑戦~ 大阪体育大学ハンドボール部男子 橘光太郎
【始まり】
「このチームのキャプテンは橘にお願いする」。そう監督から告げられたのは6月に行われた強化合宿の事でした。緊張と期待、まさかキャプテンという重役を担いアジア大会をスタートさせるとは正直思っていなかった。私にとってU21日本代表の始まりは自分への大きな課題と、越えるべき壁への挑戦の始まりでした。
3度目の日の丸を背負い挑んだ、2024年アジアジュニア選手権。過去2回の大会で満足のいく結果を残せなかった悔しさ、そして先輩たちが優勝した栄光が重くのしかかりました。勝ちたいという気持ちと同時に、プレッシャーや不安も大きく、複雑な心境で大会に挑みました。
しかしアジアチャンピオンとなり、帰国することができたのは今大会を通して、多くのことを学び、成長できたからです。異国の文化に触れ、言葉の壁、食の違いなど、様々な困難に直面しましたがチームメイトと協力し互いを励まし合いながら乗り越えてきました。今回のアジア大会で得た経験は私にとってかけがえのない財産となりました。
【成長への第一歩】
まず自分がこれまで日本で生きてきた当たり前、これは外国では当たり前でないという現実。海外遠征は初めてではなかったはずなのに驚かされることの連続の毎日。そんな慣れない環境、食生活で、果たしてチームとして力を出し切れるのかという不安が頭をよぎりました。
しかし「海外だから」という言い訳は通用しない。アジアの舞台で世界と戦う私たちにとって環境の違いは克服すべき課題です。そう確信し、チームメイトやスタッフのサポートを受けながら積極的に行動することを決意しました。
それはハンドボール選手というチームの一員という立場だけでなく、チームを勝利に導くリーダーとして、私はチームのために何ができるか、どこまで貢献できるのかを試行錯誤し、積極的に行動することを決意しました。自分自身の可能性に挑戦したいという強い衝動に駆られその思いが私を大きく成長させたと確信しています。
【壁を乗り越えチームを一つに】
どのようにチームをまとめるか、どのような声掛けをするべきなのか、考えれば考えるほど、答えが見つからないまま初戦を迎えてしまいました。
1戦目の終盤、ミスが連発し痛恨の失点を喫し引き分けに終わってしまった。焦りと同時にこのままではいけないという危機感に駆られました。2戦目も切り替えが上手くいかず、チームとしてのまとまりはあるとはいえず、雰囲気も満足のできるものではありませんでした。
予選リーグは連日ありますが、このままではどんどん状態が悪くなっていくと確信し、選手ミーティングで自分から見たチームの状況を正直に伝えました。その結果、チームメイトとの間に信頼関係が生まれベクトルが同じ方向に向くきっかけとなったように思います。
これまでの私は自分のプレーのことが優先だったり、チームのことを見る視点は戦術、技術のことを優先していたりしていましたが、今回はチームを一つの船と捉え、私が舵を取るような気持ちで試合に臨みました。視野を広げ全体を見ることで、うまくチームの車輪を回す言動に変わっていったのだと思います。
【過去を乗り越え最強チームへ】
このチームはゼロからのスタートのチームではありませんでした。メンバー18人のうち12人は昨年や一昨年にU19を経験したメンバーでした。しかし、U19時代では勝つことがなかなかできず、チーム全体の自信を大きく失っていました。今大会での目標はもちろん優勝と掲げつつも、どこかで勝ちをイメージできず自信のなさやネガティブな雰囲気が漂っていました。
しかし、新メンバーのひたむきな練習と新監督、新スタッフの熱い指導がチームに大きな変化をもたらしました。特に過去の対戦で何度も打ちのめされてきた宿敵、韓国との一戦は私たちにとって大きな転機となりました。新メンバーの未知の戦力と過去の対戦経験から得た知識を融合し、8点差という歴史的な勝利を収めたのです。
この勝利は私たちにアジアの頂点を獲りたいという強い思いを再確認させました。
【異国の地で、日本の心を再発見】
異国の地での生活は、想像をはるかに超えるものでした。現地の香辛料が全く口に合わず、毎日同じような食事に飽きてしまい、体調を崩す選手が続出しました。高熱による体調不良で試合を欠場する選手もいました。それでもチーム全員で力を合わせ、困難を乗り越えようと励まし合いました。特にサウジアラビア戦は我々にとって大きな試練となったのです。残り15分、8点差ビハインドという状況から、チーム全員が最後まで諦めずに戦い抜き、見事な逆転勝利を収めることができました。歓喜のあまりチームメイトと抱き合い、喜び合いました。その勢いのまま、続くオマーン戦、イラン戦も勝利し世界選手権出場という目標を達成することができました。しかし3試合の激戦で私たちの体は限界を超えていました。そんな私たちを暖かく迎えて下さったのは、応援に駆けつけて下さっていた日本大使の方や在外日本人の方々でした。私たちを日本大使館へ招待していただいたのです。そこで振る舞われた日本料理の数々、チーム外での日本人の方々との交流は心が温まりました。日本の味、そして温かいおもてなしに包まれ、海外で戦うことの意義を改めて感じました。この経験は私にとって一生忘れられない宝物です。
【チーム一丸となって掴んだ勝利、忘れられない瞬間】
応援の力を借りながら迎えた準決勝を突破し、ついに決勝の舞台に立った時、私は大きな喜びと同時にプレッシャーを感じていました。決勝までの道のりは決して平坦なものではなく数々の困難を乗り越えてきたからです。
試合が始まり、両者一歩も譲らない緊迫した展開。しかし前半はシュートが決まらず、焦りから自分のミスに対し、自分自身を責めていました。決勝という大きな舞台で本来の力を発揮できない自分に、強い憤りを感じていた私にハーフタイム、チームメイトが「あと30分しか時間がないのだから、全力で楽しめ!楽しめば勝てるから!」と強く告げてくれたこの言葉にハッとさせられ、これまでの自分のプレーを見つめ直すきっかけとなりました。
後半はチームメイトにパスを繋ぎ、積極的にゴールを目指し、観客席からの大歓声は私の心を鼓舞し、ベンチや応援してくださる方々と一つになったような一体感を味わいました。試合終了のブザーが鳴り響いた瞬間、チームメイトと抱き合い自然と涙が溢れていました。ベンチからみんなが駆け寄ってくる姿、スタッフの方々が抱き合っている姿、観客席で応援して下さっていた方々の笑顔、あの最高の瞬間は私の心に深く刻み込まれました。
【世界への挑戦、始動】
キャプテンに指名された時、私は喜びや驚きと同時に途方もない責任を感じました。本当に自分が務まるのだろうかという不安もありました。チームを勝利に導けなかったらどうしようというプレッシャーに押しつぶされそうになったこともありました。しかしチームメイトやスタッフ、そして応援してくださる方々の期待に応えたいという気持ちが、私を前に進ませました。
日の丸を背負い、アジアの舞台で戦うことは私にとって貴重な経験でした。慣れない環境の中、チームを一つにすることの難しさ、そして勝利への道のりは決して平坦ではありませんでした。しかし試合後、チームメイトと喜びを分かち合い、互いを信頼し合うことの大切さを改めて実感しました。
この大会は私にとって新たなスタートラインです。昨年世界選手権で味わった悔しさをバネに今回の経験を糧に更なる強みを目指します。世界の舞台で活躍できる選手へと成長し、チームを世界一に導きたい。そして、いつか後輩たちに私が経験したことを伝え、日本のハンドボールの発展に貢献したいと考えています。
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