4年に1度開かれるろう者の国際競技大会「第25回夏季デフリンピック」が来年11月15~26日に70~80か国、約6000人が参加して東京で行われ、21競技が実施されます。日本では初開催。デフスポーツはパラリンピックに含まれず、デフアスリートにとって最高峰の夢舞台です。2022年ブラジル大会に続き陸上男子棒高跳びで2連覇をめざす大阪体育大学教育学部4年の北谷宏人選手(大阪・大塚高校出身)は「東京大会をきっかけにデフリンピックの知名度がもっと上がるように、しっかり勝ち切って2連覇を果たしたい」と意気込んでいます。
北谷選手は生まれつき聴覚に障害があり、大阪府立大塚高校で棒高跳びを始めました。高校3年だった2020年に日本デフ陸上競技選手権大会の棒高跳びで優勝。大阪体育大学OBでデフリンピック棒高跳び銅メダリストの竹花康太郎教諭(現横浜市立港南台ひの特別支援学校)と出会い、大阪体育大学に進学。2022年デフリンピックブラジル大会棒高跳びで4m20をマークし金メダル。今年7月、世界デフ陸上競技選手権大会(台湾)では4m50で銀メダルを獲得しました。卒業後は東京都内の会社に就職して競技を続け、東京デフリンピックをめざします。
北谷選手に聞きました。
――東京デフリンピックでの目標は
前回大会で世界一になったので、周りから優勝して当たり前という目で見られると思います。しっかり勝ち切って2連覇したい。また、デフリンピックは日本初開催です。パラリンピックにデフスポーツは入っていないことを知らない人も多い。東京大会をきっかけにデフリンピックの知名度が上がるように結果を出したい。
――棒高跳びを始めたきっかけは
自分は生まれつき聴覚に障害がありました。最初は家族が気づいていなくて、病院でたくさんの赤ちゃんが並べられていている部屋で、一人の子が泣き始め、周りの子も泣いていていたのに自分だけ寝ているのに医師が気づいて、検査で聴覚障害と分かったそうです。
大塚高校に入学した時は短距離がメーンでしたが、練習についていけず、オーバーワークで全治3か月の肉離れを起こしました。その時顧問から「棒高跳びは走るだけでなくポールワークという歩きながらの練習もある」と教えられ、最初は遊び感覚でやってみたのがきっかけです。
――棒高跳びの魅力は
他の種目にはない高さを跳べる点が魅力的です。跳んだ時、自分が鳥になったような感覚になり、バーを越えてクリアできたと分かった時は、コーチの顔を見ながら落下して着地するのがいい気持ちです。棒に力を与えて、それをいかに踏み切りにつなげて高く跳ぶかという点も説明できない面白さがあります。
――大阪体育大学に進んだ理由は
竹花康太郎先生との出会いです。高校1年の時、デフ陸上の強化合宿が大阪体育大学で行われ、初めて参加して、そこで竹花先生に会いました。一緒に練習をしている時に「世界一になれる素質がある」と励まされました。「しんどいこともたくさんあるだろうが、3年間頑張ったら絶対にデフリンピックにも行ける」と声をかけてもらったことが今につながっています。
――学生生活で一番思い出深い大会はブラジルデフリンピックか
いえ、ブラジルデフリンピックの3か月後の2022年10月に開かれた日本デフ陸上競技選手権です。ブラジルデフリンピックは棒高跳びには出場できましたが、その後、日本選手団の中で新型コロナの感染が発生したために棄権が決まりました。エントリーしていたリレーに出場できず、試合がなくなった他競技の選手といっしょに悔しい思いをしました。ブラジルで「日本選手権で会おう」と約束し、しっかり練習を積んで日本選手権に出場し、リレーの仲間と再会できました。棒高跳びでは2年ぶりに自己ベストをマークし、竹花先生の持つ日本記録を更新する4m63で優勝できました。大学に入学してからは常に比べられていた竹花先生を超えることができたのは本当に感慨深かったです。
――デフスポーツをより社会の多くの人に知ってもらうためには
東京デフリンピックの開催が決まり、多くの企業から注目を受けるようになるなど、いい影響はあります。自分も東京都内の企業に就職して競技を続けるつもりです。デフスポーツが注目されるようになるためには、競技で全力を尽くすことはもちろんですが、デフアスリートが一般の方と触れ合えるような機会に積極的に参加することも大切だと思います。
デフ陸上は健常者の大会と似ているように思われがちですが、補聴器を外すルールがあり、その代わりにランプでスタートするとか、拍手も健常者の試合のように手をたたくのではなく、両手のひらをゆらゆらっと振ります。観客の方は視覚的に楽しめるし、他の大会では感じられない面白さがあると思います。
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