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2024.08.31

ボッチャ日本代表主将の内田峻介 香港のレジェンドに屈し、準々決勝逃す パリパラリンピック

 パリパラリンピックのボッチャは8月31日(土)午後6時40分(日本時間)から男子個人BC4(運動機能障害)の1次リーグD組が行われました。ここまで1勝1敗の日本代表主将、大阪体育大学アダプテッド・スポーツ部・内田峻介選手(22)=教育学部4年=は、同じく1勝1敗の梁育栄(LEUNG Yuk Wing)選手(39)=香港=と対戦。2―8で敗れ、通算成績は1勝2敗となり、各組上位2選手による決勝トーナメント準々決勝を逃しました。
読売新聞
朝日新聞

 梁選手は、長年にわたり世界のトップに居続けるボッチャ界のレジェンドです。試合は、第1エンドで梁選手が2-0と先行。第2、第3エンドも2-0、4-0と点差を離され、内田選手は第4エンドで2―0と反撃しましたが、及びませんでした。

 D組のもう1試合は、鄭遠森(ZHENG Yuansen)選手(35)=中国=が5―0でアンドレ・コスタ(COSTA Andre)選手に勝利。この結果、鄭選手3勝、梁選手2勝1敗、内田選手1勝2敗、コスタ選手3敗で、D組3位となりました。

 会場のパリ南アリーナでは、大阪体育大学の原田宗彦学長、冨山浩三スポーツ科学部教授(スポーツマネジメント)らが声援を送りました。原田学長は「内田選手は前回の東京大会に出場できずに悔しい思いをし、今回出場を果たしましたが、相手は39歳、百戦錬磨の香港のレジェンド。すごくいい経験をしたのだと思います。内田選手も、年齢が上がれば経験値も上がります。次に期待したい」と今後の活躍を期待していました。

梁育栄選手に敗れた内田選手=パリ南アリーナで

会場のパリ南アリーナで声援を送る大阪体育大学の冨山浩三教授

 また、内田選手を中学3年のころから指導し、日本ボッチャ協会強化本部長を務めるアダプテッド・スポーツ部監督の曽根裕二教育学部准教授(アダプテッド・スポーツ)は、次のようにコメントしています。
 「初の総合大会、お疲れさまでした。良かったことと思うようにいかなかったことをしっかり振り返って次につなげてほしいと思います。内田選手のボッチャ人生はこれからの方が長いので、あとで振り返った時に東京の経験、パリの経験がつながっていると思うことができたら良いなと思います。内田選手の試合は終わりましたが、火ノ玉ジャパンは一丸、繋ぐということをコンセプトに強化をしています。自分の試合が終わってもチーム全体の試合はまだ続きますので、自分の試合がない中でいかにチームに貢献できるかというところです。従って内田選手のパリ大会はまだ続きます」

<内田選手の試合結果>
30日 鄭遠森選手 ●1-10
30日 アンドレ・コスタ選手 〇8-2
31日 梁育栄選手 ●2-8

アダプテッド・スポーツ部の曽根裕二監督と


 内田選手は幼いころからパラリンピック出場が夢でした。小学4年の時に水泳、その後は陸上の車いすスラロームなどに挑戦しました。自分に合う障害のクラスがなく、あきらめかけていた中学2年のころボッチャに誘われ、スポーツ庁などが未来のトップアスリートを発掘する「ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト」の1期生に。高校1年だった2018年、日本選手権で優勝しました。
 中学3年のころから曽根准教授の指導を受けていて、「曽根先生の下でもっと強くなりたい」と、2021年、大阪体育大学に入学。東京パラリンピックでは次代を担う若手選手の代表として聖火への点火者を務めました。しかし、大役を任された喜びと同時に代表を逃した悔しさも味わいました。

東京パラリンピック開会式で聖火の点火者を務め、トーチのレプリカを大学に持ち帰った


 2022年、世界選手権に初出場し、日本選手として世界選手権史上初となる金メダルを個人で獲得しました。2023年のW杯では個人で銀メダル、ペアで銅メダルを獲得。パリ大会に向けて順風満帆でした。
 しかし、昨年12月、国際大会でのクラス分け審査で「出場資格なし」と判定されました。内田選手のクラスは、脳に由来しない重度の四肢機能障がい(非脳原性疾患)のBC4。内田選手はパリへの扉が閉ざされた状態になり、「自分はこれからどうなるんだろう」と不安な気持ちでいっぱいになりました。しかし、アダプテッド・スポーツ部の仲間から「ここで腐るな」と励まされ、1月の日本選手権で3連覇を達成し、号泣。今春のW杯(カナダ)に派遣されて、再びクラス分け審査を受けると、「出場資格あり」と判定が覆り、世界ランキングに基づいて出場が決定。閉ざされかけていた扉が開かれました。
 苦難を経てつかんだパリ。この経験を糧に、今後のさらなる飛躍を期待します。

2022年世界選手権で金メダルを獲得し、大学で優勝報告


「出場資格なし」と判定された翌月、日本選手権3連覇を達成し、涙を流す

今年1月の日本選手権でコーチ役を務めてくれた1年先輩の米田陵司さんとグータッチ

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