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2024.08.28

夏の甲子園全国制覇の京都国際 本学卒の宮村野球部長が語る「教員の喜び」

 この夏、100歳を迎えた阪神甲子園球場で頂点に立った京都国際高校は、大阪体育大学卒の宮村貴大教諭(41)が野球部長を務めています。京都国際は8月27日、新チームが大阪体育大学浪商高校のグラウンドで初の練習試合を戦い、夏春連覇に向けて始動しました。
 指導者の分業制を敷く京都国際で「投手コーチ」を務める宮村部長は、保健体育科の教員と野球の指導者をめざして大阪体育大学に入学し、高校と大学が共用するこのグラウンドで汗を流しました。「学生のころは自分が何かを達成できたことに喜びを感じました。教員、指導者になった今は人が育ち、成長することに喜びを感じます」。卒業から頂点に至るまでの18年間を宮村部長に聞きました。

本学時代に汗を流したグラウンドでノックする宮村貴大部長

★教員、野球の指導者めざし大体大へ 宮村部長は1999年、京都成章高校に入学しました。小牧憲継監督とは同級生。その前年、同校が好左腕・古岡基紀投手を擁し、決勝で横浜高校・松坂大輔投手(元西武)にノーヒット・ノーランを許した準優勝を見て入学した世代です。高校1年夏の京都大会での初戦の相手が、京都韓国学園として高校野球に初参加した京都国際でした(京都成章34―0京都韓国学園)。エースでしたが、甲子園への出場はかないませんでした。「教員になって野球の指導者になりたい」「強い野球部に入りたい」という2つの理由、さらに恩師の奥本保昭監督の母校でもあったことから、大阪体育大学体育学部に進みました。
 当時の大体大は、阪神大学リーグで連覇を重ねていました。宮村部長は1年秋、2年春に優勝して7連覇を経験。いずれも全国大会で神宮球場のマウンドに立ちました。「神宮のマウンドはふわふわしてあまり記憶にないが、大学時代一番の思い出でした」といいます。当時監督だった中野和彦GMの宮村投手評は「冷静に淡々と投げるサウスポー」です。
 2006年4月、保健体育科の教員として京都国際に赴任。関西大学に進んだ小牧監督が学生としてボランティアで京都国際のコーチを務めているのを知っていて、京都国際が体育教員を募集すると応募しました。
★監督と分業制で「投手コーチ」 赴任してすぐ野球部長を務め、小牧監督との二人三脚での指導体制が始まりました。野球部長は責任教師とも呼ばれます。グラウンドでの指導は監督がすべてを担い、部長は裏方に回る学校も多いですが、京都国際では投手は宮村部長、野手は小牧監督と分担します。そのメリットについて、宮村部長は「責任を持てることが一番。いろんな方が選手にいろんな指導をする学校もあると思いますが、それでは選手が悩み、どの指導を選ぶかチョイスしにくい。1人が責任を持って指導することで、選手との関わりも深まり、選手も答えを導きやすい環境になります」と話します。
★インスピレーションで好左腕育成 赴任から15年後の2021年春、第93回選抜大会に左腕の森下瑠大投手(現DeNA)を擁し、初出場して1勝。森下投手は2022年ドラフトで4位指名されました。
 2023年のドラフトでも3人が指名され、これまでに約10人がプロ入りしています。3年前に甲子園に初出場した学校として極めて多いのはなぜか。宮村部長は「うちのグラウンドは狭い(左翼方向約70m、右翼方向約60m)が、個人練習はマックスで10時半まで練習できます。個々を伸ばす環境がプロ入りにつながっています」とその理由を明かします。
 さらに、森下投手をはじめ、昨年のドラフトで広島育成3位の杉原望来投手、ソフトバンク育成8位の長水啓眞投手も含めて、好左腕が育っています。この夏の2本柱、中崎琉生投手(3年)、西村一毅投手(2年)も左。「元左腕投手として、左を育てるノウハウがあるのか」と問われ、宮村部長は「よく聞かれるんですよね」と苦笑し、「右も左も教え方は正直変わらないが、同じ左として感覚的なところ、インスピレーション的なところが伝わりやすいのかなと思います」と話し、続けました。「体の柔軟性や股関節周り、肩甲骨周りの可動域に重きを置いて指導しています」

宮村貴大部長


★分岐点のバスターは選手の判断 この夏は、その両左腕が交互に先発しました。7-3札幌日大(中崎)、4-0新潟産大付(西村)、4-0西日本短大付(中崎)、4-0智弁学園(西村)。いずれも完投・完封。準決勝は2人で継投し、春のセンバツ初戦でサヨナラ負けした青森山田に3-2で逆転勝利を果たしました。
 関東第一との決勝は、決勝としては大会史上初のタイブレークに持ち込まれました。勝敗の分岐点は、十回表無死一、二塁、代打の西村投手がバントの構えから左前打としたバスター。「あれは西村の判断。『野手が前に出てきたら打っていいよ』がうちの決め事だが、それでもあの場面で決めたのがすごい」と振り返ります。

★大体大ネットワークの力 頂点に立ち、大体大のネットワークの力を改めて感じるといいます。「関西で野球の指導者を続ける先輩、同級生が多く、すごく役に立っています。うちが弱い時でも練習試合をさせてもらい、今も大体大のつながりで練習試合をしています。このつながりがなかったら今の京都国際はない」。ほぼ同じ言葉を、弱小だった三重県立白山高校を5年で甲子園に導き、TVドラマ「下剋上球児」のモデルになった東拓司・現昴学園監督に取材した際も聞ききました。
 準決勝が終わった後、6期上の松平一彦・大体大監督から電話を受けたといいます。松平監督は2019年、履正社高校の野球部長として夏の第101回大会で初優勝を経験、その後、大体大に移りました。野球部長は決勝進出が決まると、主催者や学校、応援団との連絡や打ち合わせに追われます。松平監督から主催者との打ち合わせや決勝前にだけ行われる球場練習のことなどを教えてもらい、「いろいろ大変だけれど頑張って」と激励されました。

 来春のセンバツ出場につながる秋季京都大会の初戦が9月7日に行われます。夏春連覇に向けた道程の始まりです。「どこと試合させてもらっても追われる立場になると思います。目の前の1試合1試合を勝ち抜いた結果、最終的に連覇ができたらいいが、今は連覇は頭にない。積み重ねの気持ちです」
★教員の魅力は感動と喜び 18年前の自分と同じように、教員やスポーツの指導者をめざして部活動に汗を流す本学の後輩は数多くいます。「学生のころは自分が何かを達成できたことに喜びを感じました。教員、指導者になると人が育ち、成長することに喜びや達成感を感じます。この歳になって、この夏のような感動や喜びを味わえることなどなかなかできません。教員、指導者の魅力だと思います」

大阪体育大学浪商高校と新チーム初の練習試合を戦い、夏春連覇に向けて始動

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