三重県の片田舎にある高校の弱小野球部が奇跡の甲子園初出場を果たすTBSドラマ「下剋上球児」。鈴木亮平さん演じる熱血監督のモデルが、大阪体育大学OBの三重県立昴学園高校保健体育科教諭、東拓司さん(46)。夏の三重大会で10年連続初戦敗退だった前任の白山(はくさん)高校に赴任し、5年後の2018年、夏の甲子園初出場。「日本一の下剋上」を成し遂げた「熱血監督」に聞きました。
◆「教員資格あります」。今も胸ポケットに証拠の免許状
ドラマは昨年12月に終了しましたが、東教諭は現在も、胸ポケットに教員免許状のコピーを入れています。ドラマでは、鈴木亮平さん演じる越山高校の南雲監督は、教員免許がないことを隠して教壇に立ち、警察に自首する設定。「放送中は、教員免許の件は『これは本当の話か』とけっこう聞かれました。忙しかったですよ」と笑います。TBSからは事前に、教員免許の件も含め、フィクションを交えた設定でいくがどうかと聞かれたそうです。「ドラマになって本当に良かったと思います。脚色はあっても、高校野球にスポットライトが当たり、小さい学校が頑張って甲子園に行くところは現実と同じ。その過程を鈴木亮平さんに演じていただき、すごく良かった」。愛する高校野球がドラマ化されたことに、感謝しています。
◆大阪体育大学で 「上原浩治さんは雲の上の人」
東教諭は小学生のころから、ソフトボール、その後野球を始めました。地元の三重県立久居(ひさい)高校で野球部の監督をしていた父弘之さんの影響という。父は土日もほとんど家にいなかったが、たまに父としたキャッチボールの楽しさを覚えています。
久居高校では外野手を務め、夏の三重大会でベスト4。いいところまでは行きましたが優勝できず、高いレベルで野球をしたいという思いから、大阪体育大学に進みました。2学年上には上原浩治投手(元巨人、米大リーグレッドソックス)がいた。また、両親とも教員で、教員志望だったのも大阪体育大学を選んだ理由でした。
上原投手は雲の上の人でした。「ボールの切れも、野球に取り組む姿勢もすごかった」
また、中野和彦監督(現GM)は「選手の自主性」を最重視していました。「自由な時間は多いけれど、自分たちで練習メニューも含めてしっかり考えてやらないとだめ。先輩や学生コーチに教えられ、自分で工夫しました。それが体大のいいところだったと思います」
高校野球の監督になりたくて教員免許を取り、卒業後、母校の久居高校に講師として赴任し、野球部のコーチに。しかし、野球に没頭しすぎて教員採用試験に合格できず、6年目に昴学園高校に移って、寮監として野球から離れて試験に集中しました。2007年、教員採用試験に合格して三重県立上野高校に赴任し、念願だった野球部の監督に。上野高校は100年以上の伝統がある進学校で、勉強時間を確保するためクラブ活動の制限も多かったですが、三重大会でベスト4、東海大会も経験しました。
◆下剋上の道は草むしりから
2013年、白山高校への内示が出ました。「次は、クラブ活動に規制のない、もっと野球ができるところに行けるだろう」と思っていましたが、10年連続で夏初戦敗退の弱小校でした。
赴任が決まった3月、グラウンドを見に行くと、内野は全面、ひざまで草が伸びていました。野球部だけでなく他のクラブも全然、活動していません。「これは大変なところに来た」と覚悟しました。
4月1日に着任。グラウンドに行くと、3、4人部員がいました。「そこからのスタートでした」。ドラマでは、小日向文世さん演じる大地主が 立派なグラウンドを整備しましたが、現実の下剋上への道は、草むしりから始まりました。
「その後3年間は、頑張ったが何も変わりませんでした」。部員が足りない。中学校に、野球部員の白山への入学をお願いしに行きました。道具もない。他校で監督を務める大阪体育大学の先輩に電話して練習試合を頼み込み、0-20で負けた後、「先生、負けたのに申し訳ないですが、捨てるようなボールがあったらください」。バスにボールを積んで帰り、練習しました。
◆母校のOBのつながりで甲子園へ
そんな学校がなぜ、甲子園に行けたのか?
ドラマでは、鈴木亮平さん演じる南雲監督がおんぼろバスを運転し、練習試合を重ねて強化につなげた設定になっていましたが、これは実話です。
東教諭は近畿を中心に、大阪体育大学の先輩やその知り合いに電話をしまくり、バスのハンドルを握って、年に150、160試合も練習試合に出かけました。
東教諭によると、三重県では、大阪体育大学を卒業した野球部監督、部長、コーチが多く、20年ほど前から菰野(こもの)高校の戸田直光監督を中心に、大阪体育大学OBが率いるチームが夏休みに「三重県大体大交流戦」を実施しています。現在は東海、関西にも広がり、約40チームが三重に集まっているそうです。
「卒業生みんなが縁を大事にしています。うちが本当に弱い時、嫌な顔もせず相手をしてもらい、ボールをいただき、教えてもらうこともありました。この卒業生同士のつながりがなければ、(甲子園出場、ドラマなど)こんなことにはなっていません。体大のいいところです」
4年目、一気に15人ほどの新入生が入部しました。彼らが1年生から練習試合を重ね、3年生になった2018年夏、ドラマは起きました。決勝の前日に主将がインタビューで「「明日、日本一の下剋上をします」と答えたのも、実話です。
◆鈴木亮平さんの役作りにかけるすごみに圧倒
決勝の舞台は四日市市の霞ヶ浦第一野球場。ここでドラマの撮影も行われました。東教諭はこの球場や東京で3回ほど鈴木亮平さんに会いました。鈴木亮平さんは三重大会や甲子園の白山高校の試合をVTRで何度も見ていたようで、「試合でのあの仕草はどういう意味ですか」「ベンチではどのあたりに立っていますか」「サインの出し方は」などと細かく尋ねました。「物腰が柔らかく真摯な方でしたが、事実になるべく近づけようという役作りの努力はすごいと思いました」と振り返ります。ドラマが始まると、学校や周囲の人は「鈴木亮平さんのベンチでの仕草が、東監督によく似ている」と驚いたといいます。
◆大体大ネットワークで下剋上第二幕を
2023年4月、山あいの大台町にある全寮制の昴学園高校に赴任しました。
白山高校で10年が過ぎ、新たな環境でチャレンジしたいという思い、さらに教員採用試験に合格できた昴学園への恩返しの思いから、転任を希望したといいます。
昴学園も16年連続で初戦敗退を続けていましたが、野球部長だった昨夏に1勝。秋から監督を務めています。「白山で甲子園に出た後は毎年、甲子園をめざしていましたが、ここではまた1回戦突破からのスタート。甲子園には一歩ずつ近づいていきたい」。前監督の髙橋賢野球部長が、部員が少ない時代から少しずつ強化して、今は、部員は30人ほどいます。髙橋部長も大阪体育大学OBです。今年2月には元智弁和歌山監督の名将、高嶋仁さんが来校し、バッティングなどを指導してもらいましたが、これも智弁和歌山OB会の大阪体育大学卒業生の尽力で実現しました。朝明(あさけ)高校ラグビー部を花園常連に育てた斎藤久元監督ら他競技の大阪体育大学出身の指導者とも交流し、母校のネットワークは白山時代と変わらず、大きな支えになっています。
◆高校野球の魅力
高校野球の魅力とは?
東教諭に聞くと、「あれだけ熱くなって野球をやることは人生の中でも、そうはない経験。最後の夏、集大成の試合は、ベンチで監督をやっていてもしびれるし、すごくいいものだと思います」
一方で、高校野球の変化も感じます。「昔はガッツでいけるところを諦めるというか粘り強くない子どもも増えています。しかし、高校野球にかける思いや気持ちは変わらず根底にあると思います。その引き出し方を自分で探りながら、やっています」
2月のある日、冷たい風が吹くグラウンドを訪れると、ノックを打つ音、部員の声が響いていました。「おーい、捕れるやろ」。サードやショートが飛び込んで球際ぎりぎりで捕れるかどうかの位置に何度も打ちます。「ノックで選手の気持ちを引き出したい」。部員も実に声がよく出ていました。下剋上第2幕の幕は上がるのでしょうか。
東拓司(ひがし・たくし)
46歳。大阪体育大学体育学部体育学科卒。三重県立久居高校から大阪体育大学に進み、久居高校で野球部コーチ、上野高校で監督を務めた。2013年、白山高校監督となり、2018年、第100回全国高校野球選手権記念大会に初出場。その過程はノンフィクション『下剋上球児』(著者・菊地高弘氏)として出版され、TBS日曜劇場でドラマ化された。2023年から昴学園高校。保健体育科教諭。
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