大阪体育大学などを運営する学校法人浪商学園が11月15日(月)、創立100周年を迎えました。
浪商学園では、学園百年史や、設立者の一人である野田三郎氏の生涯を振り返ったマンガを発刊するほか、JR大阪駅では大型のデジタルサイネージ(電子広告)で創立100周年をアピールしています。なお、記念式典は新型コロナウイルス感染症対策として次年度に延期されました。
<記事は写真下に続きます>
浪商学園は1921(大正10)年11月15日、浪華商業実修学校として開校されました。大阪市南区細工谷(現天王寺区堂ケ芝)にあった工場を間借りして校舎とし、職員2名、生徒わずか十数名でスタート。以後、火災と空襲で2度、校舎が全焼しましたが、移転と校名変更を繰り返しながら発展し、現在の大阪体育大学浪商中学・高等学校に至ります。
1949(昭和24)年に現在の大阪体育大学浪商幼稚園、1985(昭和60)年に浪商高校高槻学舎が改称されて大阪青凌中学・高等学校が開校。学園の卒業・卒園生総数は本学を含め、7万5562名(2021年度現在)を数えます。
大阪体育大学は1965(昭和40)年、関西初の体育大学として創設され、東京五輪選手強化対策本部長の大島鎌吉氏を初代副学長、日本体育学会の創設メンバーの加藤橘夫氏を初代学部長に迎えました。1989(平成元)年、大阪府茨木市から熊取町に移転。1992年、大学院を設置しました。
記念誌の「浪商学園百年史」では、学園の歩みを第1部・歴史編として、創設期・変動期の淡路時代、発展期・拡充期の茨木時代、飛躍期・変革期・成長期の熊取時代に分けて振り返り、第2部・未来編は各設置校の歴史と決意などを紹介。学科・コースの変遷や歴代役員、在籍者・卒業生数の推移などの資料も多数掲載しています。
JR大阪駅のデジタルサイネージは3階南北連絡橋の改札内に設置された幅約4・5㍍、高さ約2・7㍍の大型サイズ。「次の100年も、時代が求める教育を提供し続けます」と宣言する内容で、11月8日から1カ月間、大阪体育大学大学院・大阪体育大学など各設置校がキャンパスや校舎の画像とともに紹介されます。
このほか、100周年プロジェクトとして、大阪青凌中学・高等学校の校舎が昨年4月、高槻市から島本町に移転され、大阪体育大学浪商中学・高校では2年前、100周年記念館が竣工しました。
BACK
社会貢献・附置施設
BACK