8月24日(火)開幕した東京2020パラリンピック競技大会の開会式で、大阪体育大学教育学部1年の内田峻介さんが聖火台に点火する最終ランナー3人のうちの1人を務めました。
開会式のフィナーレとなる聖火の点火は、パラリンピアンの大日方邦子さん、竹内昌彦さん、成田真由美さんから医師、看護師、義肢装具士の方3人にリレー。その後、内田さんは車いすテニスの上地結衣さん、パワーリフティングの森﨑可林さんとともに聖火を受け継ぎ、聖火台を巡るスロープを上がって点火しました。
また、内田さんの介助は、大阪体育大学卒業生で、大阪府立東大阪支援学校教員の堀部陽太郎さんが務めました。
内田さんはボッチャ日本代表「火ノ玉ジャパン」の強化選手(BC4クラス)で、2024年パリ大会の出場を目指し、パラリンピック日本代表コーチの曽根裕二教育学部准教授の指導を受けています。
内田さんのパリ大会に向けた意気込みなどを紹介します。
<記事は写真下に続きます>
――ボッチャを始めた経緯は。
小学4年の時、障害者スポーツに詳しい姉の中学の先生から誘われたのがきっかけで水泳を始めました。パラリンピックを目指しましたが、ネットで調べるとタイム的に難しいのが分かり、陸上の車いすスラロームなどへ。でも自分に合う障害のクラスがなく、あきらめかけていた中学2年の冬、ボッチャに誘われました。障害の有無は関係なくて奥深く、最後の1球で試合をひっくり返すところに魅力を感じました。
――日本代表に加わった経緯は。
中学3年の時、宮崎であった日本選手権予選に出た際、日本代表の監督から、「ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト」に応募しないかと声をかけられ、1期生になりました。初めてのジャパン合宿で強化選手と一緒にプレーをして刺激を受け、香港のトレーニングセンターで合宿したのもいい経験になりました。
――大阪体育大学を選んだ理由は。
中学3年から曽根先生の指導を受けています。もっとボッチャが強くなりたいと思い、そのために曽根先生のいる大体大を選びました。
――大学での練習内容は。
曽根先生が部長を務めるアダプテッド・スポーツクラブで週2回約2時間、健常者の部員といっしょに練習しています。高校ではトレーナーの方はいましたが、ボッチャの専門家ではなかったので主に一人での練習。今はこんな戦術がある、こんな投げ方もあるなど様々な気づきがあります。
――学生生活は。
大学の近くで母と2人で暮らし、バスで通学しています。キャンパスでは友だちがサポートしてくれています。学生生活はいろんな友だちに囲まれて楽しいです。
――目標は。
2024年パリ大会の出場です。そのためには日本選手権や国際大会で結果を残していかなければならず、来年1月の日本選手権で全力を尽くします。
――将来の夢は。
特別支援学校の教員になることです。障がいのある子どもは社会に出にくく、社会に出る際に怖さを感じることが現実としてあります。私はボッチャと出会ったことで全国に仲間ができたのはうれしかったし、勇気をもらえました。障がいのある子どもたち一人一人が輝くことができるよう、挑戦することの大切さを伝えていきたい。
<内田 峻介> うちだ・しゅんすけ。19歳。山口県宇部市出身。ボッチャ日本代表「火ノ玉ジャパン」の強化選手(BC4クラス)。山口県立山口南総合支援学校中学部2年からボッチャに本格的に取り組み、中学3年だった2017年、国を挙げた有望選手の発掘事業「ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト」1期生に。山口南総合支援学校高等部1年の2018年、日本選手権準優勝。2019年、ジャパンパラボッチャ競技大会出場。2021年4月、大阪体育大学教育学部に入学。
※BC4クラス=非脳原性疾患。脳の疾患に起因しない重度の四肢機能障害のある選手が対象。
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