保留条件付きで東京パラリンピック競泳の日本代表に内定した宇津木美都(みくに)選手(教育・1年)と男子走り幅跳び(義足T63)で、東京パラリンピック日本代表に内定している本学OBの山本篤客員准教授(新日本住設)が5月29日、本学で対談しました。
宇津木選手は5月21~23日にあったジャパンパラ大会の100m平泳ぎ(SB8クラス)予選で世界ランキング10位に相当する1分30秒07をマーク。6月にドイツで行われる障害の国際クラス分け検査で出場資格を満たしたうえで、正式に代表入りが決まります。
代表入りが確定すると、本学としては2人目のパラリンピック代表となります。
山本選手が宇津木選手に呼びかけて対談が実現しました。
<記事は下記に続きます>
対談する宇津木選手(左)と山本選手(右)
山本 なぜ水泳を選んだのですか。
宇津木 元々は陸上競技にも取り組んでいましたが、両親の勧めもあり水上競技に絞りました。
山本 陸上競技もしていたのですね。より親近感を覚えます。東京パラリンピックはどの種目で出場を目指していますか。
宇津木 200m個人メドレーにも挑戦しますが、メインは100m平泳ぎで、決勝進出を目指しています。将来はメダルも獲りたいと思っています。山本さんの経験を教えてくれませんか。
山本 僕はメダルを獲れると思っていた2012年ロンドン大会で結果を残せませんでした。しかし、その経験があったからこそ、後の大会でメダルを獲れたと思っています(16年リオデジャネイロ大会走り幅跳び銀、4×100mリレー銅)。
山本 なぜ大阪体育大学に進学したのですか。
宇津木 小学生のころから、将来は小学校の先生になりたいと思っていました。それに、大体大は部活動も強く、環境も整っていると思いました。調べてみると山本さんのようにパラ競技に取り組んでいる人が多いということも知り進学を決めました。
山本 僕が学生の時にも剣道部に隻腕の選手がいて刺激になりましたし、大学や教員の理解もあると感じていました。スポーツを理論から学んでパフォーマンスに活かすことができるのも良い環境だと思います。
宇津木 教育学部の同級生にもパラ競技のボッチャで日本代表を目指している選手がいるので、刺激をもらっています。
山本 そのような選手がどんどん増えて、チャレンジしやすい環境に世間が変わっていくことが楽しみです。
山本 宇津木選手は、(大会が1年延期した影響で)在学中に東京と2024年パリの2大会に出られる可能性があるのですね。
宇津木 チャンスだと思っています。最終的には30歳まで競技を続けてパラリンピックで金メダルも取りたいです。パリの次の28年ロサンゼルス、さらにその次の大会まで現役を続けたいと考えています。
宇津木 大学では周りの選手のレベルが高く、高校の時以上に競い合う環境があります。切磋琢磨することで自分を磨いていきたいです。
山本 僕もいつも大学生と競い合いながら練習していて、競技力の向上につながっています。競い合いながら練習することは大切ですよね。大会に向けてお互い頑張りましょう。
<山本 篤(やまもと・あつし)> 静岡県出身、39歳。走り幅跳び(義足T63)選手。
新日本住設所属、大阪体育大学客員准教授。高校2年の時、事故で左足の大腿部を切断。高校卒業後に進学した義肢装具士になるための専門学校で競技用義足に出会い、陸上競技を始める。本格的に競技をしようと2004年に大阪体育大学体育学部に入学し、陸上部に所属。2008年北京大会から3大会連続でパラリンピックに出場し、北京大会で走り幅跳び銀メダル、16年リオデジャネイロ大会の走り幅跳びで銀、4×100㍍リレーで銅メダル。18年平昌冬季大会にスノーボード代表で出場。17年からプロ選手。オフィシャルサイトはhttp://bladeathlete.com/
<宇津木 美都(うつぎ・みくに)>本学教育学部1年生。3歳から水泳を始め、京都市立洛北中学入学後、本格的に競泳に取り組む。中学生の14歳だった2017年パラ競泳日本選手権50m平泳ぎでアジア新記録。2018年アジアパラ大会100m平泳ぎで金メダル獲得。小学校教員になる夢の実現と水泳の両立を果たすために、今春、京都文教高校から教育学部に入学。
BACK
社会貢献・附置施設
BACK