4月24、25日に開催された日本のトップのパラアスリートが集う「ジャパンパラ陸上競技大会」の男子走り幅跳び(義足T63)で、大阪体育大学OBで本学客員准教授の山本篤選手(新日本住設)が優勝しました。
山本選手は本学のDASH(※注)認定アスリートで、東京パラリンピック出場が内定しています。8月24日の開幕まで4カ月を切りましたが、コロナ禍の中、大会は開催の可否を含めて不透明な状況が続いています。山本選手に心境を聞きました。
<記事は下記に続きます>
原田宗彦学長を訪問した山本篤選手(右)
――ジャパンパラ陸上競技大会では、6㍍30をマークし、2位に41㌢の差をつけました。
課題としていた踏み切りを良い感覚で行えました。記録には満足していないので(自己ベストは6㍍70)、次の試合に向けて空中姿勢と着地を意識してパフォーマンスを上げていきたい。今は60%の仕上がり。100%以上に仕上げていきたい。
――過去の3大会連続出場のパラリンピックでは、2008年の北京と16年のリオデジャネイロの走り幅跳びで銀メダル。東京パラリンピックに向けての抱負は。
本番のパラリンピックでは、最高のパフォーマンスを発揮するのみ。メダルの色にはこだわっていません。自己ベストの6㍍70を超えるように準備をするだけです。
――新型コロナウイルス感染症の拡大で大会が1年延期され、現在も無事に大会が開催できるか不透明な状況です。
コロナウイルスの影響で当然、制約や制限は発生していますが、その中で何ができるかを常に考えて行動しています。大会が1年延期になって歳を重ねてしまいましたが(39歳)、パフォーマンスに影響はないし、まだまだ自己ベスト更新を狙っていける状態です。
――大会の開催について不安はないですか。
開催が危ぶまれていますが、状況によっては中止になっても仕方がないと思っています。それよりも重要なのは、東京が開催地に選ばれてからパラスポーツを取り巻く環境が良くなったことです。自分自身、企業の支援を受け、メディアで取り上げられて応援してもらえる環境に身を置けているので、大会が開催されたらその成果を発揮したいと考えています。そして、パラスポーツへのサポート体制がレガシーとして社会に残ればいい。
――東京大会後の目標は。
東京パラリンピックの終了後も、やりたいと思う気持ちがある限り競技を続けます。脚を失った人や先天的に脚のない人が、自分のパフォーマンスを見て走りたいと思うきっかけにしてほしい。そんな人たちのためにイベントを開いたり、自治体と協力して環境を整えたりしていこうと考えています。
<山本 篤(やまもと・あつし)> 静岡県出身、39歳。走り幅跳び(義足T63)選手。新日本住設所属、大阪体育大学客員准教授。高校2年の時、事故で左足の大腿部を切断。高校卒業後に進学した義肢装具士になるための専門学校で競技用義足に出会い、陸上競技を始める。本格的に競技をしようと2004年に大阪体育大学体育学部に入学し、陸上部に所属。2008年北京大会から3大会連続でパラリンピックに出場し、北京大会で走り幅跳び銀メダル、16年リオデジャネイロ大会の走り幅跳びで銀、4×100㍍リレーで銅メダル。18年平昌冬季大会にスノーボード代表で出場。17年からプロ選手。オフィシャルサイトは http://bladeathlete.com/
※DASH(Daitaidai Athlete Support & High Performance)は、アスリートと指導者のパフォーマンス向上、質の高いスポーツ科学によるサポートを実現するプロジェクトです。そこに本学の強みである「研究力」「教育力」「生活支援力」「キャリア支援力」をシステマティックに融合させ、新しい未来を切り開く「人間力」を備えたアスリート、指導者、教育者、研究者、マネジャー、サポート人材などの育成を通して社会に貢献する、体育・スポーツ系大学の「あるべき姿」を追求します。
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