筆者:中村健(スポーツ科学部准教授)
1.古代ギリシア哲学と動物倫理
私は古代ギリシア哲学を専攻しています。約2千数百年前の古代ギリシアで、世界で初めて哲学が生まれました。私は、その時代の哲学的な営みを古代ギリシア語の原文で読み解き、従来の学者たちの解釈とは異なる、自分自身の解釈を提出するという作業をしています。具体的には、古典期に活躍したソクラテス、プラトン、アリストテレスや、ローマ帝政期のギリシア人哲学者プルタルコス、さらにヘレニズム期に栄えたストア派の哲学を研究しています。
また最近は、現代の動物倫理をめぐる哲学的な議論に触発され、古代ギリシア・ローマにおける動物倫理の問題にも取り組んでいます。今回は、古代の動物倫理について紹介するのはややハードルが高いため、現代の動物倫理について話をしたいと思います。
2.現代の動物倫理
現代における動物倫理の議論が広まるきっかけとなったのは、オーストラリア出身の哲学者ピーター・シンガーが1975年に著した『動物の解放』です。この著作で彼は、主に動物実験や肉食において、多くの動物が人間によって殺されている現状を批判しました。シンガーは、動物を擁護するために次のような議論を展開しています。
私たち人間は、主に2つの理由で、他の動物よりも道徳的に優遇されるべきだと考えがちです:ひとつは、(1)人間は理性を持っており、他の動物よりも優れているからという理由で、もうひとつは、(2)人間同士でお互いを大切にするべきだから、という理由です。
まず、(1)についてシンガーは、理性の有無は大切に扱われるべきかどうかに関係ないと主張します。私たちは普段、人間同士では知性の差で扱い方を変えるべきではないと考えます。それにもかかわらず、動物に対しては「頭が悪いから食べてもよい」という理屈を通すのは不合理だというのです。(2)に対しては、シンガーは当時(1970年代)活発だった人種差別や男女差別に対する反対運動を援用しています。つまり、「人間同士は大切にしても、他の動物にはひどい扱いをしてよい」と考えるのなら、「白人は白人同士、男性は男性同士を大切にし、他の人種や性別にはひどい扱いをしてもよい」という結論になってしまいます(しかし、私たちはそのような結論を受け入れることはできません)。
シンガーの議論には私自身も色々と言いたいことがありますが、彼の議論は非常に強力で、反論するのは難しいと認めざるを得ません。
3.私自身の倫理的立場
現代の動物倫理について簡単に紹介しましたが、実は私はヴィーガンでもベジタリアンでもありません。上で触れたように、私はシンガーの立場に全面的に同意するわけではありませんが、少なくとも、肉食による些細な快楽のために動物を殺すのは倫理的に間違っていると認識しています。それにもかかわらず、私はその哲学的な結論に反する行動をとり続けています(つまり、肉を食べ続けています)。この矛盾に関しては、私自身もある程度の葛藤を感じており、今後この倫理的な葛藤についても哲学的に考察していきたいと思っています。また、このような内的な認識と実際の行動の不整合性の問題(例えば、甘いものを食べすぎてはいけないと分かっているのに、目の前のアイスクリームを食べてしまうなどの現象)は、哲学では「アクラシア」(「無抑制」を意味するギリシア語、つまり我慢ができないこと)と呼ばれ、これ自体が一つの大きなトピックとなっています。本学では、さまざまな授業が用意されており、私が担当する「哲学」の授業では、以上のような動物倫理の問題、あるいはスポーツに関する倫理的な問題、さらには、われわれの意志は本当に自由なのか、死ぬことは本当に怖いことなのか、といった論題も取り上げられています。興味がある方は、ぜひ本学で、「哲学」の授業を履修してみてください。
中村健(スポーツ科学部准教授)
専門は古代ギリシア哲学(特にプラトンの形而上学、プルタルコスの動物倫理)。「哲学」のほかにも、「総合英語」、「実践英語」の授業を担当。現在は、古代ギリシア・ローマの動物倫理全般を扱った単著の執筆を計画している。
関連サイト
○中村健准教授
○大体大先生リレーコラム「本物を学ぼう」